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【アラベスク】  第4章 男ゴコロ



第3節 父と息子 [13]




 毎夜疲れて帰ってきていた母が、中学に入学した頃から、その性格を明るいものへと変化させた。
 再婚は、母にとっては良かったのだろう。
 刺身を一つ、口に放り込む。

 俺にとっては?

 目の前の男性を盗み見る。風呂上りの浴衣を適当に身体へ蒔きつけ、ダラリと胡坐(あぐら)をかきながら美味そうに茶碗蒸しを吸い込む。
 決して美男子ではないが、かといって醜くもない。恋の相手として、首を捻るような男性ではない。
 今回の聡に対する気遣いも考えると、父親としてもこちらが不満を口にするような存在ではない。
 そうなのだが―――
「絶対に理系よ」
 唐渓への転入を決めた時、母は理系クラスを強く勧めた。
 数学が苦手なのは知っているはずだ。得意の英語を活かして文系へ進んだって、それ程の成績は期待できないと思っていた。母だって、聡に高成績を望んだことなど今まではなかった。
 そんな聡に、なぜ理系クラスを希望させたのか?
 理由は一つしか思いつかない。
 母は聡に、税理士事務所を継がせたいのだ。そのためには、税理士になってもらいたい。
 再婚話を聞かされた当時、義父の職業については大した説明もしなかった。態度が変わったのは、聡の唐渓転入が決まってから―――
 税理士なんてものがどんな職業なのか、聡にはさっぱりわからない。
 医者や薬剤師になるワケではないのだ。文系からだって、税理士にはなれるのではないか?
 だが母は、理系クラスを強く希望した。
 数学を克服させたかったのと、そしてなにより、事務所を継ぐ意思を明確に泰啓へ示し、聡にその覚悟を決めてもらいたかったのかもしれない。
 いや、それしか考えられない。

 自分の将来―――――

 聡は今まで、そんなモノについて真剣に考えたことなどなかった。特にどうしてもなりたい職業があるワケでもない。
 だが、だからと言って母に将来を決められてしまうのは、納得できない。なにより聡は数字が苦手だ。
 もし義父がどこにでもいそうな平凡なサラリーマンというヤツだったら、こんな問題は起きなかっただろう。
 唐渓への転入で、厄介な期待を持ってしまったのは母の勝手。持たせてしまったのは聡の勝手とわかっていながら、それでも事の一端を義父に擦り付けてしまいそうになる。
 進路や進学で、これから親とあれこれ言い争う事にでもなるのだろうか?
 その時には、せめて義父を巻き込んではなるまいと言い聞かせながら、ふと箸を止める。

 この人は、悩まなかったのだろうか?

 望んで継いだのなら、悩むこともなかったのか?
 ぼんやりと手を休める聡に、泰啓がふと顔をあげた。
「なんだ?」
「あっ いや………」
 慌てて箸を持ち直し、何か食そうと膳へ視線を落とすが、さて何を食べようか? とっさに決まらず、迷い箸をフラフラさせる。
 その姿に、泰啓が箸を置いた。
「その髪、暑くないのか?」
 思わず項に手を添える。
 洗いたての髪を結びもせず、肩に流す。
 空手をやっていた頃は、ほとんど丸刈りみたいなもんだった。高校に入って、伸ばし始めた。
 中学までと違ったコトをやることで、気分を変えたかった。いやいっそ、忘れてしまいたかった。
 姿を消してしまった美鶴を、忘れたかった。
 どれだけ探しても見つからない。見つからないのならいっそ――――
「まぁ イマドキ男の長髪など、珍しくもないか」
 グラスを持ち、グッとウーロン茶を飲み干す。
「そう言えば、数学の成績で母さんに怒られただろ?」
「あぁ……」
「母さんが、あんなに教育熱心だとは思わなかったよ」
 聡は乾いた笑いで答える。
 俺だって、勉強にあれこれ口うるさいおふくろは初めてだよ。
 ようやく天婦羅をつまみ、大げさに噛み付く。
「数学が苦手か?」
「まぁね」







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