毎夜疲れて帰ってきていた母が、中学に入学した頃から、その性格を明るいものへと変化させた。
再婚は、母にとっては良かったのだろう。
刺身を一つ、口に放り込む。
俺にとっては?
目の前の男性を盗み見る。風呂上りの浴衣を適当に身体へ蒔きつけ、ダラリと胡坐をかきながら美味そうに茶碗蒸しを吸い込む。
決して美男子ではないが、かといって醜くもない。恋の相手として、首を捻るような男性ではない。
今回の聡に対する気遣いも考えると、父親としてもこちらが不満を口にするような存在ではない。
そうなのだが―――
「絶対に理系よ」
唐渓への転入を決めた時、母は理系クラスを強く勧めた。
数学が苦手なのは知っているはずだ。得意の英語を活かして文系へ進んだって、それ程の成績は期待できないと思っていた。母だって、聡に高成績を望んだことなど今まではなかった。
そんな聡に、なぜ理系クラスを希望させたのか?
理由は一つしか思いつかない。
母は聡に、税理士事務所を継がせたいのだ。そのためには、税理士になってもらいたい。
再婚話を聞かされた当時、義父の職業については大した説明もしなかった。態度が変わったのは、聡の唐渓転入が決まってから―――
税理士なんてものがどんな職業なのか、聡にはさっぱりわからない。
医者や薬剤師になるワケではないのだ。文系からだって、税理士にはなれるのではないか?
だが母は、理系クラスを強く希望した。
数学を克服させたかったのと、そしてなにより、事務所を継ぐ意思を明確に泰啓へ示し、聡にその覚悟を決めてもらいたかったのかもしれない。
いや、それしか考えられない。
自分の将来―――――
聡は今まで、そんなモノについて真剣に考えたことなどなかった。特にどうしてもなりたい職業があるワケでもない。
だが、だからと言って母に将来を決められてしまうのは、納得できない。なにより聡は数字が苦手だ。
もし義父がどこにでもいそうな平凡なサラリーマンというヤツだったら、こんな問題は起きなかっただろう。
唐渓への転入で、厄介な期待を持ってしまったのは母の勝手。持たせてしまったのは聡の勝手とわかっていながら、それでも事の一端を義父に擦り付けてしまいそうになる。
進路や進学で、これから親とあれこれ言い争う事にでもなるのだろうか?
その時には、せめて義父を巻き込んではなるまいと言い聞かせながら、ふと箸を止める。
この人は、悩まなかったのだろうか?
望んで継いだのなら、悩むこともなかったのか?
ぼんやりと手を休める聡に、泰啓がふと顔をあげた。
「なんだ?」
「あっ いや………」
慌てて箸を持ち直し、何か食そうと膳へ視線を落とすが、さて何を食べようか? とっさに決まらず、迷い箸をフラフラさせる。
その姿に、泰啓が箸を置いた。
「その髪、暑くないのか?」
思わず項に手を添える。
洗いたての髪を結びもせず、肩に流す。
空手をやっていた頃は、ほとんど丸刈りみたいなもんだった。高校に入って、伸ばし始めた。
中学までと違ったコトをやることで、気分を変えたかった。いやいっそ、忘れてしまいたかった。
姿を消してしまった美鶴を、忘れたかった。
どれだけ探しても見つからない。見つからないのならいっそ――――
「まぁ イマドキ男の長髪など、珍しくもないか」
グラスを持ち、グッとウーロン茶を飲み干す。
「そう言えば、数学の成績で母さんに怒られただろ?」
「あぁ……」
「母さんが、あんなに教育熱心だとは思わなかったよ」
聡は乾いた笑いで答える。
俺だって、勉強にあれこれ口うるさいおふくろは初めてだよ。
ようやく天婦羅をつまみ、大げさに噛み付く。
「数学が苦手か?」
「まぁね」
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